自分を育ててくれた高知県をなんとか良くしようと、大学卒業後、高知に帰り、地域づくりのコンサルタントになって早12年。県や市町村からの依頼で、地元と人と一緒に、福祉や観光、集落の活性化などいろいろとやってきましたが、行政に依頼されるプロジェクトや外部者として活動にはもう限界があると思い、数年前から自分が主体となって事業を立ち上げる準備を進めてきました。
20代の頃、営業や道路の仕事で、高知県中の道という道を車で走りまわり、こんな山奥や山のてっぺんに人が住んでいることに驚き、20代後半では、もう二度と行かないだろうと思っていたその集落から仕事を受け「条件が悪い所ほど日本人が忘れかけている大切な物や心が残っている」ことに驚かされました。
30代になり、自分にも子どもが生れ、真剣にこの子や孫の世代に、20代の頃に驚き、あらためて気づかされた、高知の誇るべき自然や原風景、食材や物づくりの文化、自然と共生しながら暮らしを営んできた生活様式や価値観が残せるだろうか。次世代の高知はどうなるのだろうかと現実的な問題として真剣に考えるようになりました。
これまでの活動ブログ:お父さんのばりばりにっき(リンク参照)
今、高知県は人口や経済状況、各種生活指標など、全国最下位レベルと言われています。特に雇用状況は過去最悪で(有効求人倍率が0.5、2人に1人しか就職できない)、若者が高知にいても夢や希望がなかなか持てない、それ以前に働いて生活するといった最低限の営みも難しい状況となっています。
私は12年前に運良く高知に帰ることができましたが、今では私と同じように県外にいる学生が「高知を良くしたい・地域に貢献したい」と思ってもその若者を受け入れる余裕もなくなっています。
私は今こそ、高知県の進むべきビジョンをしっかりと固め、立場や世代や市町村間の垣根を越えて、高知県民が一丸となって、高知の良さや活力を引き出し、人(特に若者)が最低限生きていく土壌をつくっていかなくてはならないと思っています。
高知県が今後も生き残っていくためには、他の県のようなハイテク産業や企業立地はなじまず、地域にあるものを活用してそれを付加価値をつけて稼いでいくしかありません。全国の中でも最も取り残された県と言って、マイナス面や問題点ばかり指摘するのではなく、そのような状況を逆手にとって、残された資源を徹底的に活用して、人や物のつながりをさらに深めるのです。人口が少ない分(それも逆手にとって)、1人当たりの活躍量を増やし、人と人を掛け合わせることで他県よりも何十倍の効果が発揮できると思います。
私が思う高知の目指すべきビジョンとあるものの活用方法それは「自然循環型の暮らしづくり」。先人が当たり前のように自然と共生し暮らしてきた循環型社会を現在の知恵や技術で再構築し、自然が与えてくれる癒しや楽しさ、そして自然から育まれる農林水産物、それをうまく加工し暮らしを営んできた先人(高齢者)の知恵を守りながら、次世代にうまく受け継ぐことだと思います。
これから、私にできることと言えば、これまで高知県内を駆けずり回った中で出会えた頑固で真面目・面白い人、そんな人がコツコツと作り続けているこだわりの物(本物)を紹介し、生産者と消費者がともに豊かさを享受できる場づくりしかないと思っています。
私はこれまで、できるだけ地域のいい部分を掘り起こし、活性化につないできました。これからも、仕事のジャンルは変わっても、どんどん高知のこだわりの人やモノ、情報を届けて、いろんな人につなげていきたいと思います。
これから、このブログでは、これから自分がやろうとしていることや、これからつなげようとする人や物を紹介していこうと思います。ちょっとくどくて説教たらしいものになるかも知れませんが(やはり性格がでます)、おつきあいの方よろしくお願いします。